❝ 趣味は「くっつけること」。日本にもマレーシアにもお互いの魅力を伝えたい❞
A to Z Language Centre
Managing Director
西尾 亜希子さん
◆プロフィール◆
1999年に日本語教師として来馬。2004年にA to Z Language Centerを立ち上げる。海外を拠点とする日本人起業家のネットワーク、WAOJE理事。日本ビジネス能力認定協会認定講師。一般社団法人ウェブ解析士協会マレーシア支部事務局。1人でも多くの人に語学学習の機会を提供することが目標。
◆A to Z Language Centre◆
クアラルンプール郊外のダマンサラ本校を含め、4つの拠点がある語学学校。マレーシア人向けの日本語教育のほか、日本人など外国人向けに英語、中国語、マレー語も教えている。日本への留学サポートのほか、日本語を学ぶ学生向けの奨学金、日本語プレゼンテーションコンテストなどの窓口も務める。
語学学校の創業者で、起業家コミュニティーの発起人というプロフィールから、「バリバリのやり手経営者」を想像していましたが、ほんわかした笑顔そのままの包容力のあるお人柄。「自分ができなくても、みんなでやろう」と、「人と人をくっつけること」を得意技とする西尾先生のもとには、今後もさまざまな人や企画が集まってくるんだろうなと感じました。
「マレーシアがカタカナだったから」日本語教師の仕事に応募
―かなりマレーシア歴が長いイメージですが、どれくらいなんですか?
西尾 1999年の4月2日にマレーシアに来たので、20年になりますね。
20歳くらいの生徒とは「私はマレーシア人としては20歳だから同じ歳だね」と話しています(笑)。
―もともと、日本語の先生として来馬されたんですよね?
西尾 東京にあるインターカルト日本語学校という日本語教師養成学校を卒業して、「海外で働きたいな」と学校にあった求人の広告を見ていたんですね。勤務地のところに、中国、台湾、韓国…とあるなかで、唯一カタカナだからという理由でマレーシアの学校に応募したら採用された、という感じです。マレーシアがどこにあるかもわかってなかったですね。
―おもしろい選び方ですね。そのあと、ご自身で語学学校、A to Z Language Centreを立ち上げられたんですね?
西尾 それが……1年くらいマレーシアで働いたら青年海外協力隊に参加したいと思っていたのですが、務めていた語学学校がなかなか辞められず……。やっと辞めて他の国に行こうとしたら、全然違う業種の友人に「出資するから語学学校を経営しないか?」と誘われ、やんわり断ったつもりがやんわり過ぎて伝わっておらず、A to Z Language Centreを立ち上げることになってしまったという、かなり後ろ向きのスタートでした。
―それもまたおもしろい経緯ですね。それでも15年間もA to Zを経営されてきて、分校もいくつもあるなんてすばらしいと思います。
西尾 いえ、お金のことを考えるのは苦手で、本当にどんぶり勘定です。
授業料も10年くらい値上げしていないことに最近気づいて、先生の給料を上げるために授業料の値上げをいろんなところにお願いしているところです。
―そうなんですね、意外です。起業家の会とかにも参加されているのでバリバリの経営者なのかと……。
西尾 WAOJE(World Association of Overseas Japanese Entrepreneurs、ワオージェ)のことですね。
海外を拠点に活躍する日本人起業家が参加する「和僑会」というコミュニティあって、もともとは香港で発足したのですが、それの支部が世界中にどんどんできて、クアラルンプールでは私が立ち上げました。
でも、「和僑会」の名前を良くないことに使う方もいたりしたので、支部長は2年ごとに変えるなどといったルールを整備して、最近「WAOJE」に名称を変更しました。現在は、山口聖三さんがマレーシア支部長、福田綾香さんが副支部長をされています。
「おもしろいな」「不思議だな」と思ったら首を突っ込んでしまう
―本当にいろんなことをされていますよね。
西尾 はい、首を突っ込みたがりなんです(笑)。
お笑いも大好きなんですが、とにかくおもしろいことが好きで「これ不思議だな」「尋常じゃないな」というものに興味が沸いてしまう。
WAOJEでも新しい出会いが多くて、例えば、今年から力を入れたいと思っている大学生の短期受け入れ事業は、香港でWAOJEの世界大会が開催された際に沖縄の大学の関係者にお会いしたことがきっかけでした。
―大学生の短期受け入れはどういう内容のプロジェクトなんですか?
西尾 基本的には日本の大学側のプロジェクトなのですが、学生さんが夏休みなどを利用して1~2週間マレーシアに滞在する。前半はA to Z Language Centerで英語を学んでもらい、うちの生徒で日本語を学んでいて日本に興味があるマレーシア人とも交流してもらう。
後半では日系企業に行ってお話を聞かせてもらったりと企業研修を受けたりして、最後はマレーシアで学んだことをプレゼンしてもらう、という「英語+社会見学」の内容です。
2週間程度では英語力はそこまで上達しませんが、「海外」へのハードルが下がったり、外国人の友達ができることで自信がついたり、もっと頑張ろうとやる気が出たり、「心のスイッチ」が入るきっかけになれればと思います。
―「心のスイッチ」っていい言葉ですね。
西尾 日本人学生が海外に行く場合も、マレーシア人の若者が日本に行く場合も同じですね。ハードルが高すぎないように、踏み台を準備してあげるとハードルを乗り越えられる。
なので、逆に日本の留学に興味があるマレーシア人高校生を日本に連れていく下見ツアーというのもやっています。
あとは、日本語教師を目指す人の受け入れもやっているのですが、日本語教師って本当にやりがいがあるいい仕事なので、この仕事の魅力を発信して、日本語教師を目指す人を増やしたい。
「日本語の先生になってよかった」という先生や、「この先生に習ってよかった」という生徒が増えるとうれしいですね。
―そういうお人柄だからこそ、いろんな企画が西尾先生のところに集まってくるんでしょうね。
西尾 趣味は「くっつけること」。私一人ではできなくても、やれるところを出し合ってみんなでやっていきましょうという感じですね。
共立国際交流奨学財団主催日本体験コンテスト優勝者と一緒に函館へ
多言語文化は「諸刃の剣」。メリットとデメリットがある
―これまでにかなりたくさんのマレーシア人の生徒さんが巣立っていると思うのですが、マレーシア人の生徒の特徴はありますか?
西尾 マレーシア人は、他の東南アジアの人に比べて日本語の発音がいいと思います。ミャンマーやベトナムの方だと発音できない言葉が結構あったりするんですが、マレーシアの人は中国語も割とフラットな発音で日本語に近いと思います。
あとは、すでに多言語を話せる人がほとんどなので、新しい言語を覚えるときに自分がすでに知っている言葉に置き換えて覚えるという作業がすごくしやすい。あと、3つ目、4つ目の言語を覚える際のハードルが低いというメリットもありますね。
でも逆に、多言語が話せてもどの言語もレベル的にはまあまあという場合、日本語のレベルがその他の言語以上にうまくなるのは難しい。多言語の環境は諸刃の剣とも言えます。
―これまでで一番記憶に残っている生徒さんはどんな人ですか?
西尾 優秀で記憶に残っているのは、同志社大学に入学して、同志社から毎年1名に支給される奨学を受給して、アメリカのアーモスト大学に留学した女の子。アーモスト大学はノーベル賞受賞者も多く輩出している有名な大学で、同志社大学の創立者の新島襄の母校でもあるそうです。
その女の子のお姉さんも優秀で、慶応大学を主席で卒業して、卒業式で表彰されたんですよ。すごく優秀な姉妹でした。お姉さんは、今イギリスの大学に留学しているはず。2人とも、自分の力で奨学金を勝ち取って進学して、すごいと思います。
他にも、「明治大学に受かった」とか「東京大学大学院で行う研究プロジェクトに参加します」とか、いろんなうれしい報告が来ます。
深い考えを徐々に日本語で表現できるようになっていく過程に感動
―すごいですね。みなさん、マレーシアではどれくらい日本語を学んでから日本に行くんですか?
西尾 人それぞれですね。うちでは日本の語学学校に入学するお手伝いをしただけの生徒もいるけど「この学校がなかったら、今の自分はなかったです」なんて言われることもあって、すごくうれしいですね。
― 一番うれしいことはやっぱり生徒さんたちの成長でしょうか?
西尾 教えるのは楽しいし、生徒の上達を見るのもうれしい。
でも、もっとうれしいのは、日本語を使って輝かしい将来を手に入れた生徒が、それを報告してくれた時。
日本語が片言しか話せないと「昨日ナシレマを食べました」とか簡単なことしか言えないけど、本当はマレーシアの将来とかすごく深いことを考えていて、そういうことを日本語で言えるようになって、伝えられることがどんどん増えていって……日本語の先生って本当におもしろい仕事だと思います。
あと、元生徒で日本関連の仕事をしている人も増えてきていて、元生徒と仕事でコラボする機会も増えてきているのですが、それもうれしいですね。
一番大変なのは、日本人教師の確保とビザ取得
―現役で教えてらっしゃるんですね。
西尾 はい。教えるのが好きだからというのもあるのですが、人手不足だからというのもあります。
ここ近年、日本の少子化に伴う人材不足、また企業の海外進出の影響で、日本語教育がお金になるということで、資本がある企業が日本語学校をどんどん作っていて数が激増しています。
これまでは、日本語学校の経営はあまりお金にならなかったんですよ。物価の高い国の先生が、物価の低い国の人からお金をもらうわけですから。だから、「それでも日本語を教えたい」という人たちが好きで教えていたところがあるんですね。そういう学校は給料を多く出せないこともあって、いい先生はなかなか来てくれないんです。
―そんなに人手不足なんですね。
西尾 はい。加えて苦労しているのが、日本人の先生の労働ビザ。せっかくいい先生が見つかっても、ビザの申請が進まないこともよくあります。最近も制度が変わったとかで申請がストップして大変でした。
私たちは外国人で、マレーシアで働かせていただいている立場ですから、マレーシア政府には従うしかありませんが、もう禿げそうなくらいビザでは苦労しています(笑)
西尾先生の後にあるのは、台湾をはじめ、世界で活躍する日本人書道家soyamaxさんの書
私は「80%マレーシア人」。マレーシアへの愛を語ったら3時間はかかる
―マレーシアのここが嫌いというところは?
西尾 そのビザの問題と、運転マナーかな。
普段は穏やかなマレーシア人がなぜ?と思います。運転している全員がもう少し思いやりの心を持てれば、あの渋滞は起きないと思うんですよね。
―では、マレーシアの好きなところは?
西尾 私は「80%マレーシア人」と公言しているのですが、マレーシアへの愛は止まらないですよ! 話し始めたら3時間くらいかかります。
すごいなと思うのは「寛容さ」。マレーシアの人って、何か問題や間違いがあっても「仕方ないよね」って許せる人が多いですね。もともと多民族なこともあるから、「こうあって欲しい」というのを他人に要求しないんですよね。他人を尊重しつつ、でも無関心という絶妙なバランス感覚を持っていると思います。
コミュニケーション力も高い。言いにくいことでもちょっと笑いを含めて伝えるから場の雰囲気が壊れなかったり、語学力が劣る人が言うことを「こういうことを言いたいんだろう」と想像したり。まあ、その想像が間違っていることも結構あるんですが……。
2018年の選挙に見たマレーシア人の「民度の高さ」
西尾 61年続いた政権が変わった2018年の選挙には感動しました。
選挙が水曜日だったから、投票のために海外から帰国した人もいたりして、投票率は90%以上。投票結果がなかなか出なくて、一部では熱くなっていた人もいたんですけど、「結果を待とう」って呼びかける人がいたり……。
マハティールさんが首相になって、公約通りGST(消費税)を撤廃したわけなんですが、財政がひっ迫しているのをみんな知っているから、「国を救おう」ってクラウドファンディングを始めたり。
マレーシアの人って、国に守ってもらおうとは思っていないんですが、関心がないわけではなくて、「自分たちがなんとかしないと」という考えが強いんですよね。あの瞬間に立ち会えてよかったと思います。
―マレーシアで一番好き食べ物は?
西尾 フィッシュヘッドカレーとクラン(Klang)の肉骨茶(バクテー)。フィッシュヘッドカレーはどこで食べてもおいしいと思います。
―最後にマレーシアで暮らす醍醐味を教えてください。
西尾 この先が楽しみな国ですよね。20年前と比べたらよくなっているけど、20年前にはすでにツインタワーもクアラルンプール国際空港もあったわけで、発展の仕方がバブル的な感じじゃなくて、ゆっくりで地に足がついている感じ。
そして、国民がみんな「これからももっとよくなれる」と信じている。とても前向きで、今後が楽しみです。
その他のインタビュー記事
マレーシアで活躍するこの人に聞く10の質問